農業レポート

河野レポート#21 河川工事

河野レポート#21

早速、良いニュースです。

おかげ様で、710日に3年越しで、私どもの畑の横を流れる大谷川の土砂の撤去工事が完了致しました。

自治会長(昔の村長さんに当たります)に早速お礼の電話を差し上げました。

私どもの畑から見て、下流部は、一昨年の平成27年度に、前自治会長にお願いし、府の河川管理局に陳情してもらい土砂撤去がなされました。しかし、上流部は予算がなく、翌年廻しになりました。ところが昨年の平成28年度予算では、上流部の土砂撤去工事として織り込まれていたようなのですが、別件の緊急対策工事に予算が食われ、結局着手されずに終わりました。

そのため、何度か、我々家族が独自に河川に入り、刈払機で葦を刈り、水の道を作り、洪水等の氾濫を防ぎました。例えば、昨年台風時の大雨では、堤防上から5cmまで川の水位が上がりはしましたが、氾濫の危機は逃れました。

今年6月末、工事業者が来て機材を置き、さあ明日から工事となって、雨が立て続けに降り台風も来て延期。この710日にやっと工事に入り完了。ただ残念なことに、土砂については今回は予算が少なく見送りとなり、葦を刈るだけの工事となりました。と言っても5人がかり、トラック2台の半日工事の規模でした。到底、個人で対応できる量ではありません。

また継続して京都府に土砂撤去の予算申請を行う必要があるとのこと。

今回、この件に関して、今回のレポートで詳しく触れるのは、この問題が実は今日本の抱える大きな問題を、良く示してくれているからです。

ひと言で申しますと、「公共投資削減によるインフラ破綻」です。

これも元はといえば、財務省の進めている「プライマリーバランス達成」と、それに伴う「公共工事費予算削減」と言う小泉政権以来の長期にわたる「愚策」によるものです。

従って、 単に京都府の土木行政を責めるわけにはいきません。

これと同じインフラ劣化の状況が、全国の地方自治体で進んでおり、 それが昨今の天候不順・ゲリラ豪雨の影響もあり、洪水・土砂崩れ等の被害頻発につながっております。

国土の痛みと建設業者能力の減少と言う二重の意味で、国力が弱ってきております。

早く我が国のインフラ整備に投資を向けないと、①デフレ脱却はもとよりのこと、②国防面は言うに及ばず、③それ以外の社会的経済的な危機管理施策までもが達成できないと言うことになり、国民生活の安全が担保されないという悲劇的な状況になってきております。

これすなわち先進国からの脱落、すなわち日本の開発途上国化につながって参ります。開発途上国とは、自国の存立を自国のみの経済・政治力で達成できない国のことを言います。残念ながら、国の存立基盤でもある防衛力については、北朝鮮のミサイル脅威に対して日本として何も抑止力をもてないことを明確に示しており、開発途上国であると言えます。三橋貴明氏も安全保障上の危機管理は全て掛け算で効いてくる。その構成要素(国防、エネルギー、食糧、医療、施設インフラ)のどれが欠けても0になります。具体的に国が立ち行かなくなるのです。

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苗用の土作り

河野農園では、お野菜もお米も苗作りから始まります。

種を播く土も無農薬・無肥料のそれぞれの畑や田の土を使います。

粘土質の土塊をこぶし大まで崩して乾かし

何回も木槌で砕いてふるいながら「土」を取って行きます。

お野菜用の畑の土は5mm以下、お米用の田の土は3mm以下までふるいます。

土埃がひどいので防塵マスクを着用します。

こうして作った土に,培土やくん炭を混ぜた土に種を播くのです。


 

足かけ3年の基盤整備工事

 

2017年から新規に農地を借り入れしましたが、

 

残念ながら湿田で排水性も湛水性も乏しい状態のモノでした。

 

大型機械を入れても緩くて収穫を放棄するような田んぼで、私どもの持つ小さいトラクターを入れますと、泥にはまって出られなくなってしまう様な地盤の緩い土地でした。

 

給排水の配管位置がわからない。

 

あるいは機能していない。

 

法面が崩落している、漏水が著しい。

 

地面の傾斜が偏っているなど等の問題から、すぐに作付けできるような土地ではありませんでした。

 

そのため、夏場の晴れ間などを使い、こつこつと排水管の再敷設、

 

外溝の掘削、崩落法面の補修などをして、ようやく湿田を畑の圃場として利用できる形に整えました。

 

 

 

はじめはバックホーを入れるのもお腹をすってアームで移動しなければ動けないような場所でしたが、

 

少しずつ排水性を良くしながら、

 

時間と労力をかけて利用できるように改善しました。

 

 

 

中山間部の農地は大体みな同じような状態ではないでしょうか。

 

大規模な圃場整備をしてから当地では40年が経過し、

 

大規模化、機械化などの取り組みなどがあったそうですが、

 

大きい田んぼでもせいぜい23反で、のり面が高く、平野部で見られる畔を乗り越えての

 

圃場の移動などが無理な場所が多いため、農機の移動も、畦畔の草刈りの労力も平地とは全く違います。

 

そんな山間部ですが、

 

地道にコツコツと取り組んでおります。

BEFORE

工事前

 AFTER

工事後

種取り用ハウスの完成

 

18年末から新規圃場の基盤工事と並行して進めていたのが種採りハウスの建設です。

 

山が近く、周辺からの受粉の可能性も少ない場所ではあるものの、水はけの悪い死地を改良しての建設です。

 

もともと地下水位が高い場所でしたが、畝を高く盛ることで野菜が問題なく育つことは確認できていましたので、土台を作りその上に土を盛り、畝を立ててからの、建設基準の作成。

 建設開始

基盤工事に注力していたため、19年から骨格の建設をはじめました。アーチパイプを配置し、背骨となる直管を5本固定しましたが、やはり地盤が緩いため、場所により水引線より5cm沈むという状態に。

 骨格

アーチの穴に小石など詰め込んで固定してはいましたが、建設を進めて鉄管の骨がそれぞれ組み合わさると重さもそれなりになります。勝手に沈みます。

 

ということで丸太を切って下鉄管と地面の間にかませてジャッキアップ。これで下がりすぎることはなくなりました。一通りの骨組みを組むのは終えて、19年の秋に聖護院蕪の種を撒き、骨組みだけのハウス内で栽培開始です。

 聖護院蕪

20年の1月に入り妻面の建設も終えて、本格的にビニールや防虫ネットの展張となるのですが、綾部では3月に岸焼という川岸や農道・畔などの冬の枯れ草を焼き払う行事があります。

 

山が近いので結構な法面があり、毎年焼くのですが、ビニールハウスにとっては火の粉が飛んで触れると穴の原因になります。今年は雨のため中止になりましたが、当日の天気によるので、中止か岸焼が終わるまでビニールは張れませんでした。そうこうしているうちに無事に育った聖護院蕪は花芽を伸ばし始めます。あまり大きいとは言えませんが霜にも虫にも負けなかった、形の良いものを残して間引き、選抜をします。

 

1月には防虫ネットを張り、岸焼中止後に天井ビニールを張り、急ピッチでハウス外観を建設。無事開花までには扉もついて建設が終わりました。今は開花してくる菜花にひたすら受粉作業をしています。

完成 

今年から夏野菜の一部も植え付けをし、交雑の心配が低いものを種採りしていく予定です。

 

  



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店長ご挨拶

綾部市に移り住んではや6年、木村秋則式自然栽培に学び、無肥料・無農薬での栽培を行っております。
4年間土作りに取組み、まだまだ田んぼの土ですが、そんな中で頑張って根を張り、一生懸命育ったお野菜をご提供しております。
永続可能で環境負荷の低い自然栽培で育った、自然の深い味わいと、変化をお楽しみ頂ければ、幸いです。
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